アブラハムが割礼を受けたのは、神が彼をその信仰のゆえに祝福すると約束された時より、もっとあとのことです。
割礼を受ける前に、アブラハムはすでに信仰を持っており、神はすでに彼を受け入れ、ご自分の目から見て正しい者、義なる者と認めておられました。
割礼はそのしるしだったのです。
こうしてアブラハムは、ユダヤ教の規則に従わなくても、信じて救われるすべての人の父とされています。
ですから、これらの規則を守っていない人々も、信仰によって神から正しい者と認めていただけることがわかります。
ローマ4:11
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