彼はその信仰によって、百歳の自分がもう父親になれる年ではないとも、また九十歳の妻サラが子どもを産めないとも思いませんでした。
アブラハムは少しも疑うことなく信じ、そのことがまだ実現しないうちから、その祝福のゆえに神を賛美しました。
彼は、神の約束はどんなことでも実現すると堅く信じました。
この信仰のゆえに、神は彼を義と認められたのです。
しかし、「彼は信仰によって神に義と認められた」と書かれたのは、ただアブラハムのためだけでなく、
私たちのためでもあったのです。
それは、主イエスを死者の中から復活させた神の救いの約束を信じるなら、アブラハムと同様に、神は私たちも受け入れてくださることを保証しています。
主イエスは、私たちの罪のために死なれました。
そして、私たちを神との正しい関係に入れ、神の恵みで満たすために復活なさったのです。
ローマ4:19-25
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