これらのことを話したのは、これからどんなことが起こっても、あなたがたがくじけないためです。
会堂から追放され、いのちまでつけねらわれる身になることを覚悟しなさい。
事実、あなたがたを殺すことで神への奉仕を果たすのだと、人々がとんでもない思い違いをする時が来ます。
父をも、わたしをも知らない人々のやりそうなことです。
いいですか。
この警告をしっかり心にとめておきなさい。
迫害が現実に起きた時、あわてふためかないですむようにしなさい。
今までこんなことを言わなかったのは、しばらくの間でも、いっしょにいてあげられたからです。
しかし今、わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行かなければなりません。
それでもあなたがたは、わたしが何のためにそこへ行くのか、知りたくないようです。
だれ一人、どこに行くのか尋ねもしません。
かえって、わたしの話を聞いて、悲しみに心が満ちています。
しかし、わたしが行くことは、あなたがたにとって一番よいことなのです。
わたしが行かなければ、助け手である聖霊はおいでになりません。
行けば必ずおいでになります。
それというのも、わたしがその方を遣わすからです。
その方が来られると、世の人に誤りを認めさせます。
罪、心の正しさ、神との正しい関係、さばきからの救いについて、人々は考え違いをしているのです。
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