というのは、いくら律法に従おうと努力しても――それは失敗以外にないのです――神の恵みは決して受けられないことがわかったからです。
キリストを信じて初めて、神に受け入れられることがはっきりわかったのです。
私はキリストと共に十字架につけられました。
もはや、私自身が生きているのではありません。
キリストが、私のうちに生きておられるのです。
私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、今、私のうちにはほんとうのいのちが与えられています。
私は、キリストの死を無にはしません。
もし私たちが、律法を守ることによって救われるなら、キリストが死ぬ必要などなかったはずですから。
ガラテヤ2:19-21
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